.. _intro: ========== はじめに ========== 生体内 (in vivo) の大脳皮質のニューロンは典型的に, (1) 発火の時系列パターンが不規則であり (発火時間間隔 (interspike interval; ISI) の分布が指数分布に近い), (2) ニューロン同士はほぼ無相関に発火する という特徴を持つ. 一方, 生体外 (in vitro) の電気生理記録から, 大脳皮質のニューロンは決定論的 にふるまうことが知られている. それでも, 大脳皮質のニューロンは相互に 結合しているのだから, 入力として他のニューロンの発火の不規則なパターンを 受けることにより不規則な発火パターンを出力するというメカニズムが考えられる. しかし, この素朴に考えれば「自然な」メカニズムは, 簡単な考察から破綻する ことが分かる. :math:`N` 個のニューロンが相互に結合した系を考える. それぞれのニューロンは平均して :math:`K` 個のニューロンから入力を受けているとし, 行列 :math:`\bm J` を用いて, :math:`i` 番目のニューロンが :math:`j` 番目のニューロンからの入力を受 けているなら :math:`J_{ij} = J / K` そうでなければ :math:`J_{ij} = 0` として結合を表現する. ここで結合力を :math:`J/K` とスケールした理由は 以下で明らかになる. 以下の議論は興奮性の集団 (:math:`J > 0`) でも 抑制性の集団 (:math:`J < 0`) でも成り立つ. ニューロンの数やその結合の数は非常に大きいので, :math:`N, K \to \infty` の極限で現れる普遍的な性質を調べる. ニューロン :math:`i` への入力を :math:`x_i`, その出力を :math:`y_i` と書く. 入力 :math:`x_i` がどのように出力 :math:`y_i` に変換されるかは指定しない が, 何らかの決定論的な仕組みに依る, つまり 出力の不規則性は入力の不規則性のみに依る という仮定をする. 簡単のために, すべてのニューロンの出力 :math:`y_1, \ldots, y_N` は独立 で, 同じ平均 :math:`m = \Avg{y_i}` (「ネットワークの平均発火率」のよう なもの) を持つとする. さらに, 入力 :math:`x_i` が線形和 .. math:: x_i = \sum_{j=1}^{N} J_{ij} y_j で表されるとする. 右辺はたくさんの :math:`y_i` の和なのだから, :ref:`lln` により「その平均 (:math:`= m`) × :math:`J_{ij}` が非ゼロの時の値 (:math:`= J / K`) × :math:`J_{ij}` が非ゼロの個数 (:math:`\approx K`)」 で近似出来るはずである. つまり, :math:`x_i \approx J m` となる. 結合力が :math:`J/K` という選択は :math:`x_i` が :math:`K \to \infty` で発散 しないために必要だったのである. しかし, この場合, :ref:`clt` により :math:`x_i` の 分散は :math:`\Var (x_i) = O(1/K)` とスケールすることが期待される. つまり, :math:`x_i` の不規則性は :math:`K \to \infty` の極限で 消えてしまう. よって, 出力 :math:`y_i` の不規則性は入力 :math:`x_i` の不規則性にのみに依るという仮定から, 出力 :math:`y_i` の不規則性 も消えてしまう. しかし, この結論は出力 :math:`y_i` に不規則性 があるという仮定のもとで導いたのだから, 矛盾している. つまり, このモデルは間違っている. この現象を避けるには, 結合力を :math:`J/K` から :math:`J / \sqrt K` に変更すれば良い. この場合, 同じく :ref:`clt` により :math:`\Var (x_i) = O(1)` となる. つまり, :math:`K \to \infty` の極限でも不規則性 が消えない. ところが, 平均は :math:`\Avg{x_i} = O(\sqrt K)` となり, :math:`K \to \infty` の極限で発散してしまう. 生物学的な モデルでは変数は常に一定の範囲内に収まっているべきであり, 平均 が発散するモデルは使えない. しかし, この困難は相互に結合した興奮性と抑制性の集団と, それらの 集団への外部からの興奮性入力 [#ext]_ を考えると解決出来る. 興奮性の集団を上付添字 :math:`E`, 抑制性の集団を上付添字 :math:`I`, 外部の (興奮性) 集団を上付添字 :math:`0` で表し, 例えば :math:`i` 番目の 興奮性ニューロンへの入力は :math:`x^E_i` で, 抑制性ニューロンから興奮性ニューロンへの結合の強さは :math:`J^{EI} / \sqrt K` とする. 集団 :math:`E, 0` は興奮性なので :math:`J^{kE}, J^{k0} > 0` (:math:`k = E, I`), 集団 :math:`I` は抑制性なので :math:`J^{kI} < 0` (:math:`k = E, I`) であることに注意. 集団 :math:`k` (:math:`= E, I`) への入力は .. math:: x^k_i = \sum_{j=1}^{N} J^{kE}_{ij} y^{E}_j + \sum_{j=1}^{N} J^{kI}_{ij} y^{I}_j + \sum_{j=1}^{N} J^{k0}_{ij} y^{0}_j \approx \sqrt{K} (J^{kE} m^E + J^{kI} m^I + J^{k0} m^0) となる. ここで :math:`J^{kE} m^E + J^{k0} m^0` は正で :math:`J^{kI} m^I` は負である. よって, これらの値が うまく釣り合えば, つまり, :math:`J^{kE} m^E - J^{kI} m^I + J^{k0} m^0 \approx 0` が成り立てば, 入力 :math:`x^k_i` は発散しない. 本稿ではこの条件の成り立つネットワークを **興奮・抑制均衡ネットワーク** と呼び, その特性を解析する. 素朴に考えるとそのためには各結合力 :math:`J^{kl}` (:math:`k, l = E, I, 0`) を注意深く選ぶ (fine tuning する) 必要があり, 恣意的なモデルに見える. よって, 興奮・抑制均衡ネットワークの重要なアイディアは, この条件が **自動的に** [#]_ 達成されることにある. もちろんそのためには結合力 :math:`J^{kl}` はある 条件を満たす必要があるが, その条件は大変ゆるい. .. [#ext] ここでの議論だけでは外部の集団を考える必然性は自明 では無い. しかし, 興奮・抑制均衡ネットワークは外部の集団 なしでは成り立たないことを後に述べる. .. [#] 力学系の言葉で言えば, この条件が達成された状態が漸近安定. まず, :ref:`balance-network` でネットワークの詳細には依らない 特性を導く. そして, :ref:`binary-network` で上記の アイディアが統計力学的な厳密な系で成立することを示す. :ref:`balance-network` と :ref:`binary-network` の大部分の 議論はゆるやかにしか繋がっていないので, どちらから読み始めても 良い. :ref:`binary-network` で :ref:`balance-network` の 議論が必要になるのは, :ref:`stability` の部分だけである. .. todo:: 文献を紹介する